昭和飛行機工業の歴史
Our History
財界の期待を担う航空機メーカーとして
昭和12年6月5日、昭和飛行機工業株式会社は誕生しました。
当時、日本の航空機界はすでに先進各社が欧米に匹敵する優秀な航空機を製造していました。弊社は、日本で立ち遅れていた新鋭の輸送機の製造こそが新会社の使命として米国ダグラス社のDC-3型機の製造を目指しました。終戦までに、DC-3型機を430機、その他海軍向けの各種航空機も含めると700機の航空機を製造しました。
なお、DC-3型機は、ダグラス社を合併したボーイング社100年の歴史の中でボーイング747(いわゆるジャンボ)などと同様、世界の航空輸送に劇的な変化を与えた傑作旅客機として、エポックメイキングな製品と言われております。
航空機製造工場の米軍による接収
終戦後日本は、GHQにより航空機事業を全面的に禁止されました。
弊社航空機製造工場も賠償指定工場として接収を受け、米軍の各種車両(航空機燃料給油車・消防車・クレーン車・バスなど)・エンジン・航空機などの修理作業に従事しました。
この間に米国の斬新な技術と生産管理技法を習熟する機会を得て、民需転換後の事業の基礎を固めることとなりました。
各事業部門の基礎固め
特需時代に培ったノウハウを背景に、各分野への進出に積極的に取り組んで参りました。
陸上輸送部門では、現防衛省に航空機用給油車を納入、以来時代のニーズにこたえる製品を次々に送り出し、昭和40年には業界に先駆けアルミタンクローリーを開発。輸送業界をリードする基盤を確立しました。航空宇宙部門では、アルミハニカムを武器に航空機メーカーへの進出に成功。その後は、軽合金構造物とハニカム構造を一体化した特色ある航空機装備品など数々の製品を開発して参りました。また、他社に先駆けアラミドハニカムを開発し、ハニカムの国内唯一の総合メーカーとして航空宇宙分野における地位を確立しました。
不動産開発部門では、米軍による接収が解除され社有地を有効活用して地域社会の発展に資することを目的に「昭和の森」構想を策定。平成3年には昭島市との間に開発事業の基本協定を結び、開発に伴う公共施設・道路整備などを協力して行って参りました。
会社分割による不動産開発部門の独立
2020年10月、昭和飛行機工業の不動産開発事業を「昭和飛行機都市開発株式会社」として会社分割いたしました。
これにより、輸送機器事業を引き続き運営する昭和飛行機工業、不動産開発事業・賃貸事業を営む昭和飛行機都市開発はそれぞれに、事業環境の変化に即したより迅速で的確な経営判断を可能とする体制を目指して参ります。
弊社においては、安定的な供給体制の確保に注力するとともに、製品ラインアップ拡充や生産体制・技術力の強化により更なる事業価値の向上に取り組んで参ります。
Recent Years of Efforts
近年の主な取り組み
- Boeing Performance Excellence Award 5度目の受賞
- Boeing 737インボードフラップ接着アッセンブリー6,000号機出荷
- Showa Aircraft Industry Philippines Inc.より航空機部品用ハニカムパネル初出荷
- 創立80周年記念行事を開催
- 新超短尺アルミタンクローリーを業界に先駆け商品化
- 管理職人事制度改正
- Boeing 737インボードフラップ接着アッセンブリー5,000号機出荷
- フィリピンに「Showa Aircraft Industry Philippines Inc.」設立
- 航空自衛隊向け2000G燃料給油車(改)出荷
- 自然エネルギーを利用した環境に優しい太陽光発電システムの導入
- 事業継続計画の一環で、災害時の緊急連絡手段として安否確認システムを導入
- ボーイング737 インボードフラップ接着アッセンブリー4,000号機出荷
- 被災地の復興支援
- SDFH(Showa Double Flexible Honeycomb)開発スタート
- 小惑星探査機「はやぶさ」に当社のハニカムパネル使用
- 超短尺タンクセミトレーラ出荷
- 転落防止用九州新幹線 有楽町線の可動柵受注・出荷
- こうのとり(HTV:宇宙ステーション補給機)推進系モジュールのパネル構体を製造
- 航空宇宙産業の需要拡大に向けて生産設備の強化(5軸N/C加工機、オートクレーブ、レイアップルーム、レーザートラッカー増設)
- ボーイング737 インボードフラップ接着アッセンブリー3,000号機出荷